びんのなか

想い出話や感想文など。読書メモが多め。ネタバレだらけです。

銀河鉄道の夜

 FF6魔列車編やってて読みたいと思っていたのを(いつの話だって感じですが)やっと読みました。

 

 ものすごく有名な宮沢賢治の童話。

 

 初めて読んだのは小学生くらいの時で、その時はさらっと読んだこともあり、そこまで印象に残ってはいませんでした。その後、たまたまアニメ映画を見たことがきっかけで再度読み直したら、何とも言えない悲しみが襲ってきた記憶があります。

 

 いつものことですが長いです。

 

<めちゃくちゃざっくりとしたあらすじ>

 祭りの日、病気の母のために牛乳を買いに行ったジョバンニは、途中で出会ったクラスメイトのいじめっ子のザネリに揶揄われる。ジョバンニは惨めな気持ちになって、丘へ行くが、どういうわけか銀河ステーションから列車に乗っていた。

 列車にはクラスメイトでジョバンニにとっては心の許せる友人カムパネルラが乗っていた。二人の乗った列車は銀河を進み、そこには幻想的で美しい光景が広がっていた。列車で出会った人々との交流の中で、この列車が天上に向かっていることを知る。そして、サウザンクロスで天上へ向かう人たちは降りてゆき、カムパネルラもまたそこでいなくなってしまう。

 丘で目が覚めたジョバンニは牛乳を買って帰る途中で、川に入ったカムパネルラが死んでしまったことを知るのだった。

 

 

 ところで、この作品はこれが最終稿ということですが、完成された作品というわけではないそうです。家にあった本には第一~三稿までも収録されていたので、それについても簡単に触れておきます。

 

<第一次稿>

 ほとんど終盤だけ。最後に乗ってきた青年と姉弟との会話から。最終稿にはなかったイルカの話がある。その後、カムパネルラと別れるまでは大体同じ。

 別れたあと、ジョバンニは自分は独りであることを知り、本当の幸福を求めて生きることを決意する。そして、目が覚めるとブルカニロ博士から「実験に付き合ってくれてありがとう」みたいなことを言われる。

→ 一番の大きな違いはブルカニロ博士が登場すること。ジョバンニはカムパネルラと別れた際に、彼の死を受け入れていたように思える。

 

<第二次稿>

 切符を見せるところから。カムパネルラも切符を持っていない。その後、青年と姉弟が乗って来るが、一番の違いは第二次稿のみ姉が三人いること。イルカの話はあった。その後の流れは第一次稿と大体同じ。

→ 何故か姉が三人。

 

<第三次稿>

 牛乳を買いに出かけているところから。最終稿とほぼ同じような流れ。イルカの話はなくなっている。カムパネルラと別れた後、悲しみに暮れるジョバンニの前に博士が現れてジョバンニを導く。

→ 第一次、二次稿ではジョバンニ自身で「自分の進むべき道」を見つけたのに対して、こちらでは博士の導きによって気付くことになる。また、カムパネルラがジョバンニにとって友人ではなく憧れの対象となっており、二人の関係性が少し違う。

 

<最終稿>

 ブルカニロ博士は登場しない。その代わりにカムパネルラの父親が登場する。カムパネルラの死の経緯について書かれている。

 

 …というように、最終稿では一切存在しないブルカニロ博士が第三次稿までは登場します。第三次稿でもジョバンニと博士の関係や、「実験」の詳細は不明です。博士という存在は、学校の先生とカムパネルラの父親(博士)に分割されたようです。最終稿を読んだあとで、ブルカニロ博士が存在する方を読むと作品そのものの雰囲気も違うように思えます。上手く言えませんが、ファンタジーがSF寄りになった感じ…というか。また、第三次稿まではジョバンニの「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます」という決意を表わすセリフがあるのですが、最終稿でこのセリフはありません。ジョバンニはただ抱えきれないくらいの様々な感情を抱きながら、自分の家に帰るのです。

 なんというか、あらすじは同じだけれど設定がまるで違うためにまったく別の作品を読んでいるみたいでした。

 

<感想>

 心の澱みや汚れが浄化されるような宗教的で美しい作品です。描写自体もとても美しいのですが、文章自体がきれいだと思いました。心が洗われるような気持ちになった一方、ザネリに殺意を抱きました。きっと私は天上には行けない気がします。

 一つのテーマとして、「幸福とは何か」ではないでしょうか。他者を思い遣ること、他者の幸福を願うことが、自分の幸福である、それは自己犠牲に限りなく近いもののように思えました。家庭教師の青年と姉弟が死んでしまったのは、青年が他者を押しのけてまで助かることを望まなかったからです。他者の犠牲の上に成り立つ幸福はないのでしょう。そして、カムパネルラもまた、いらんことをして川に落ちたザネリを助けるために川へ入って死んでしまいます。正直なところ、ザネリが死んでも自業自得です。私がカムパネルラの母親だったら、ザネリに憎しみを抱いてしまいそうです。ザネリには一生その十字架を背負って生きてほしいと思います。

 一番印象的だったエピソードはサソリの話です。この部分は心に引っかかっていて覚えていました。小さな虫などを食べて生きていたサソリが、ある時イタチに食べられそうになります。サソリは必死で逃げて、とうとう捕えられそうになったところ、井戸に落ちてしまいます。結局井戸で死ぬことになるサソリは「こんなことならイタチに自分の命をやっておけばよかった。そうすればあのイタチは生きることができたのに」と考えます。―このエピソードはどの稿にも入っていて、この作品のテーマがよく表されていると思います。私はこういう生き方はきっとできない。でも、そういう心を持った人は本当に憧れます。清らかな心ってこういうことなんでしょう。

 カムパネルラの父親がかなり冷静なのにびっくりしました。ジョバンニに「明日みなさんでうちへ遊びに来てくださいね」というのが理解できない。葬式に来てね、って意味じゃないですよね。その後川を見つめて悲しみを押し殺していたに違いない…はず。

 それにしてもジョバンニがカムパネルラに会えたのはどうしてなんでしょう。今は少し距離ができてしまっているけれど、二人の間には強い絆みたいなものがあったのでしょうか。ジョバンニはカムパネルラに対して強い親愛の情を持っていると思います。一方のカムパネルラはジョバンニを心配しているようです。カムパネルラにとってもジョバンニは誰よりも大切な友人で、死の間際に「ジョバンニに会いたい」と強く願ったためジョバンニがあの列車に呼び寄せられた。あるいは、ジョバンニがカムパネルラを強く想っていたためにカムパネルラの死に引き寄せられた。どちらかというと、後者のような気がします。いずれにせよ、ジョバンニは悲しみを乗り越えて、カムパネルラに恥じることがないような生き方をしていくはずです。どちらかというと、読んでいた私がカムパネルラの死を受け入れられなかったです。

 

<登場人物について>

▫ ジョバンニ

 母親想いの優しい少年。内気。わりと平凡なキャラクターとして描かれている。父親が漁(出稼ぎ?)に出ていて滅多に帰って来ない。そのためクラスメイトには罪人の息子だと揶揄われている。

 カムパネルラとは幼馴染で、父親同士も友人らしい。病気の母親を支えるため働いており、学校生活も身に入らない。家を出ている姉がいて、ちょこちょこ家の様子を見に来てくれているらしい。

 カムパネルラと少し距離ができてしまっていることを寂しく思っている。カムパネルラと一緒にいたい気持ちが強い。列車の中で、カムパネルラと仲良く話す女の子に嫉妬のような感情を抱く。

▫ カムパネルラ

 ジョバンニの唯一心を開く友人。裕福な家庭で育ち、優しい性格の持ち主。揶揄われているジョバンニを気にしている(ただしザネリを止めることはしない)。いじめっ子と一緒になっていじめるようなことはしないので、争いごとが苦手なタイプだと思われる。

 ジョバンニが「きみのおっかさんは、なにもひどいことないぢゃないの」と言うので、カムパネルラの母親は健在だと思われたーが、終盤でカムパネルラが「あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」と言うので、母親は既に他界していた??それとも何か別の解釈があるのか。母親は既に死んでいるが、ジョバンニは彼の母親を知っていて、カムパネルラが何をやっても怒ったり悲しんだりするような人ではなかったために、そう言ったとか…??

 第三次稿ではカムパネルラは少女漫画とかに出てきそうなハイスペックな委員長的なキャラクターとして描かれていたがが、ジョバンニの憧れの対象から友人と言う関係性に変わったせいか、心優しい少年というところに落ち着いたようだ。(確かにただ憧れの存在程度なら、何故ジョバンニがカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗れたのかの説明がつかない気がする)

▫ 鳥を捕る人

 鳥を捕るのを生業としているらしい。捕らえた鳥をジョバンニたちにくれるが、それは「鳥」というより「鳥の形をしたお菓子のようなもの」だった。ただ、鳥を捕えるシーンがあり、その鳥たちは袋に入れられるとお菓子のようなものに変わる。ジョバンニははじめのうちはうっとおしがっていたが、別れる頃には憐みにも近い感情を抱くようになる(←ここら辺のジョバンニの気持ちがわかりにくかった。鳥捕り人はとても純粋な心の持ち主だったため、邪魔に思ってそっけない態度を取ってしまったことを後悔している?)

▫ 青年と姉弟

 青年は姉弟の家庭教師だった。乗っていた船が沈んだことで死んでしまった。最初は二人の子どもだけでも助けようと考えるが、他にも小さな子どもたちが助けを待っているのを見て、彼らを押しのけてまで助かるよりはそのまま天に召された方が姉弟にとっても幸せだと考える。弟の方はおそらく自分の死を理解できていない。

▫ ザネリ

 いじめっ子。ジョバンニを見下して揶揄っている。精神年齢が小学校低学年くらいのイメージ。善悪の判断がまだできていない「子ども」という言葉がしっくりくる。彼が川に落ちたのも、子どもならではの事故という感じ。

▫ ブルカニロ博士

 最終的に存在しなくなった。ジョバンニを導く役割を担っていた。科学者であり思想家であるようだ。

「遠くから私の考えを他人に伝える実験をしたいとさつき考へてゐた」とのセリフからも、ジョバンニの夢の中に入っていたようだ。カムパネルラが死んだことで博士の実験が成功したと考えると何か釈然としないが。

 信仰に対する考え方で印象的だったところ。「みんながめいめい自分の神様が本当の神様というだろう、けれどもお互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう(文字変換しています)」まったくその通りだと思った。

 

<アニメ映画について>

 原作通りだったと思います。主人公たちが二足歩行の猫であること以外は。何も知らずポスターを初めて見た時は、本当に主人公たちは猫だと思っていました。

 見るならある程度内容が理解できるようになってからの方がいいと思います。静かであまり動きのある映画ではないうえ、セリフも淡々としているので、眠たくなりそうな気がします。絵はとてもきれいでした。個人的には良作だと思います。また見たいです。