少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
あまり更新していないブログですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
久し振りに大晦日からずっと仕事していました。12月以降公私ともにとにかく忙しかったです。とりあえず昨年中に終わらせたいことはだいたいできたので、よかったです。結局この記事は年を越してしまいましたが…。
「はてしない物語」の世界について、色々考えてみました。あくまでも個人的解釈です…。だらだらと思ったことを書いています。
■ 幼ごころの君(望みを統べたもう金の瞳の君)
ファンタージエンを統べる女王。ファンタージエンを存続させる力が弱まると、新しい名前が必要となる。バスチアンが名付ける前の名前は不明。バスチアンが来るより以前は、人間はファンタージエンによく来ていて、その度に女王に名前を付けていたらしい。…ということは、虚無に飲み込まれるほど女王が力を失ったことは今までなかったということだろうか。
フッフールによると、幼ごころの君自身はファンタージエンの生きものではなく、別の世界のものだという。また、人間という存在でもないらしい。
すべての者に対して平等で、強い力を持ちながらも支配することなくただ存在数だけの「幼ごころの君」。とても神秘的なキャラクターでした。感情が見えず無機質な感じが、ファンタージエンの持つ不気味さと一致していると思いました。
■ グモルク
ファンタージエンのことについて、色々語ってくれる。グモルク自身はファンタージエンとは別の世界の生き物。ファンタージエンの滅亡を謀る者から、それを阻止することを託されたアトレーユを消すために送り込まれた。色々な世界を移動することができ、ファンタージエンでは人狼の姿をしているが、人間の世界ではヒトの姿に見えるという。グモルクによると、
▪ ファンタージエンの生き物は、夢に描かれたものにすぎない。「はてしない物語」の登場人物であり、実在しないもの。
→ 人間の空想の世界の住人、想像力の産物?
▪ ファンタージエンの住人が人間の世界へ行くと、<虚偽(いつわり)>という存在になる。<虚偽>とは人の考えを支配する力で、知らないものを憎んだり、盲目的に信じ込んだり、救いであるはずのものを疑ったりするようになるものらしい。この力に支配された者が戦争を始めるようになったりする。
→ 虚偽≒妄想?
…ということから、ファンタージエンは人間の想像力が源となる別世界で、人間の世界とは何かしら干渉しあっている。最近では人間の想像力が弱くなってきたことで、妄想に囚われる人間が増えていき、人間の世界も混沌としていく―ということだろうか。
■ ファンタージエン
バスチアンがファンタージエンに来た時には、世界は無に還っていて、バスチアンの想像力で新たに生まれることになった。ファンタージエンを創っていくためには、バスチアンが「願う」ことが必要となる。
願いを叶える代償として、人間の世界での記憶を失うことになる。つまり、元の世界の記憶がなくなれば願うことはできなくなり、完全にファンタージエンの住人となってしまう。
ファンタージエンに来た者は、「はてしない物語」の主人公となって物語を作っていくことになる。
前半部分、幼ごころの君のセリフから
「ここにきた人の子たちはみなこの国でしかできない経験をして、それまでとはちがう人間になってもとの世界に帰ってゆきました。かれらはそなたたちのまことの姿を見たゆえに目を開かれ、自分の世界や同胞もそれまでとはちがった目で見るようになりました」← 後から読むと、バスチアンは確かにそうなっていましたね。
あと、時間の概念が現実世界とは違う。
入り口はいくつも存在するが、出口は一つだけ。「試練」に合格した者だけが幸福を手に入れ、失敗すればすべて失うーわからずに試練に挑戦することになるところが恐ろしい。
■ ファンタージエン特有のもの
後半ファンタージエンでバスチアンが創り出していないもの、つまりファンタージエンに必ず存在するものについて。
▪ エルフェンバイン塔
ファンタージエンを維持する幼ごころの君の住処で、世界の中心に存在する。
▪ 元帝王たちの都、アーガックス
ファンタージエンから元の世界に戻れなくなった人間たちが住まう場所と監視役。
▪ 生命の水が湧き出る泉
ファンタージエンの出口。
↓ おそらくファンタージエンに常に存在すると思われるもの
▫ さすらい山の古老
ファンタージエンの記録者。幼ごころの君と同様の存在で対極にあるという。
▫ ヨル(ミンロウド坑)
元の世界に帰るために必要な、その人にとって一番大切な<記憶の欠片>が眠る場所。
■ 物語を導く者たち
▪ グラオーグラマーン
バスチアンがファンタージエンで出会った最初のキャラクター(幼ごころの君を除く)。ファンタージエンの案内人的役割を持っていた。
▪ アイゥオーラおばさま
バスチアンに元の世界へ帰る方法を伝える人物。バスチアンがすべてを失う前に「帰ること」という望みを持ったことで現れた。
バスチアンの望みによって登場したと思われるが、彼らがファンタージエンで物語を進めるうえで必要な情報を持っていることから、ファンタージエンではそういった役割のキャラクターが必要に応じて登場するようになっているのではないだろうか。
■ アトレーユとフッフール
すべてが無に還ったにもかかわらず無事だったアトレーユとフッフール。幼ごころの君がさすらい山の古老に会いに行く際、二人を「傷がすべて癒され新たな力が甦る、ある場所」に行かせた。新たなファンタージエンに送り込んだと思われる。バスチアンにとって必要な存在だったから…?
前半部分はアトレーユの物語をバスチアンが読み進めるという形をとっていた。これはバスチアンのために用意された物語だったのだろうか。彼らはバスチアンが元の世界に帰る(成長する)ために絶対に必要な存在だった。
■ はてしない物語
コレアンダー氏もまた、バスチアンと同様にファンタージエンに行って帰って来た人間だった。バスチアンはコレアンダー氏が読んでいた本に魅せられて盗んだと思っていたが、コレアンダー氏は本の存在を知らないと言った。そして、本自体がファンタージエンから来たものだったと。また、本以外の方法でもファンタージエンへ行くことができるという。
■ ファンタージエンへ行くことができる者
想像力が豊かであること。あと、おそらく現実世界に満たされておらず、心の底で「変わりたい」と願っていることではないだろうか。善悪が基準とはなっていないものの、ファンタージエンで己の欲望のままに願いを叶えていくと元の世界に帰ることができなくなるので、結局「正しい心」を持てた者だけが人間の世界に残ることになる。ファンタージエンに行くことの代償が大きすぎて、一歩間違えれば「呪いの本」レベル。帰還できる方が少なそうだし、そもそもファンタージエンのことを知らずに入ってしまうのが恐ろしすぎる。ただ、すべての記憶を失ってファンタージエンで永遠に過ごすことになると、現実世界で感じていた「生きる辛さ」は忘れているだろうから、本人にとっては幸せなのかもしれない。そうやって考えると、ファンタージエンへ行くことができたら、帰還できてもできなくても本人にとっては幸せだといえるだろう。
アトレーユ(とフッフール)はバスチアンが真の友だちが欲しいと願ったことで生まれたのではないかと思っています。そして、バスチアンが「こうありたい」と願った姿がアトレーユだったのではないかと。アトレーユはバスチアンの分身のような存在で、バスチアンが現実世界に戻っても、心の中で生き続けているのだと思います。
ファンタージエンは<異世界へ行く物語>の中でもかなりハードな世界観ですね。救いはありますが。オズが一番気楽そう。オズも入口はいくつも存在しますが、見つけられるのは「運」だけみたいですし。それこそ行く人間の人間性など全く関係ない。ナルニアは逆に資質がかなり問われる感じですかね。そして、救いようのない終わり方をしていました。
考えがまとまらなすぎて、箇条書き状態…。ここまでお読みくださった方、お疲れ様でした。これで終わります。
「はてしない物語」を読んだことのない方、是非読んでみてください。ここではあまり伝わっていないと思いますが、本当に面白いので。