びんのなか

想い出話や感想文など。読書メモが多め。ネタバレだらけです。

ナルニア国物語(7)さいごの戦い

 ナルニアシリーズ最終作です。最終作というだけあって、ほぼオールキャストとなっています。

  やっぱり表紙の絵が違う…。うちのは戸の向こう側へと向かう絵です。個人的には自分の持っている方の絵の方が好き。

さいごの戦い―ナルニア国ものがたり〈7〉 (岩波少年文庫)

さいごの戦い―ナルニア国ものがたり〈7〉 (岩波少年文庫)

 

 ーあらすじー

 とんでもなくずる賢くて根性悪の赤毛の大猿“ヨコシマ”は、お人好しでちょっと愚かなロバ“トマドイ”を唆してライオンの皮をかぶせて“アスラン”と名乗らせます。そして、アスランの名の下にやりたい放題します。さらにヨコシマはカロールメンの侵攻の手引きまでもしてしまうのです。この時代、誰もアスランをよく知らないため、みんなあっさり騙されるのでした。

 ナルニアの王チリアンは、人間界からやって来たユースチスとジルの協力を得て、ライオンの皮をかぶったトマドイを見つけます。チリアンたちはヨコシマの悪行を暴こうとするのですが、頭の切れるネコ“ハジカミ”とカロールメン兵の隊長リシダの策略によりその計画は失敗となります。そのうえ、カロールメンで信仰されている邪神(?)タシまで呼び出されてしまいます。そして、ナルニア軍とカロールメン兵との戦いとなるのでした。

 ナルニア軍は懸命に戦いますが、戦況は思わしくありません。絶体絶命となったチリアンは、リシダとともにタシのいる小屋へと入ります。すると、突如不思議な声とともにタシは消え去ります。そこに現れたのはピーター、エドマンド、ルーシィ、ディゴリー、ポリー、それから先ほどまで一緒に戦っていたユースチスとジルでした。彼らは皆、王、女王の姿をしていました。そして最後にとうとうアスランが現れ、ナルニア最後の時を迎えるのでした。

 世界のあらゆる生き物たちは、アスランにより「仕分け」されます。新しい世界にふさわしいかふさわしくないか。アスランに認められた生き物たちとともに、チリアンやピーターたちは新しい世界へ入ります。その新しい世界こそが“まことの”ナルニアだったのです。そこには、カスピアンやリーピチープなど、懐かしい顔ぶれもいました。ピーター達も、今度こそ人間界へ帰ることなく永遠にナルニアにいることができるのでした。

 

ー感想ー

キリスト教についての知識がないため、間違った捉え方をしているかもしれません。

 今までとはだいぶ雰囲気の違うお話でした。もともとこのシリーズはナルニア誕生から滅亡までが描かれているとあったので、ナルニアが滅びてしまうことは予備知識としてありました。…が、こんな終わり方だとは思っていませんでした。ネットなどを見ても割と賛否両論みたいですね。全体的に暗い感じで、色彩をほとんど感じることができませんでした。他の巻に比べて戦いの描写も多かったように思います。序盤からナルニアは徐々に崩壊へと向かいます。ナルニアにとって大切なものはカロールメンという異教徒によって破壊されてゆきます。それはナルニアの住人自らが招いたことなのです。この崩壊への過程が不気味で、もとは1匹の年寄りザルによって始まったことでしたが、ナルニア自体が大切なものを失いつつあったように思えます。

 人間界からは先にやって来たユースチスとジルが活躍します。どちらかというと、ジルの方が活躍していましたね。ユースチスは自分たちの状況を冷静に判断します。どうしてナルニアへやって来たのか。本当に嫌な予感しかしません。そして、「銀のいす」でアスランの言っていたことは現実となっていました。

 ナルニア側にもカロールメン側にもつかない小人たちが登場します。彼らには独自の価値観があり救いを必要としていないため、アスランの力は及びません。欲望を求め、真実を見る心を閉ざしてしまっているのです。この辺りは、「魔術師のおい」で登場したアンドルーおじさんと同系統の考え方だと思います。

 アスランは彼を信じる者に対しては寛大でした。一方、「仕分け」によって選ばれなかった者、つまりアスランに対して負の感情を抱く者は、ばっさり切り捨てられました。新しい、というか真のナルニアへ行けるのはアスランに選ばれた者たちだけです。アスランの望む世界は、完璧で美しいものなのでしょう。そして、その世界へ行くことができたピーター達は幸せだと感じます。特にルーシィ。彼女のナルニア(というかアスラン)への想いは他とは一線を画していました。…本当にそれでいいの?と思ってしまいました。「仕分け」は多様性を排除しているように感じられ、やや違和感を覚えます。ただ、現実ではありえない理想の世界=天国ということは、物語の流れとしては自然…かと。

 “まことのナルニア”はとても明るくて色彩豊か。それまでの色彩を感じさせなかったこともあって、余計に美しく感じました。私が小学生くらいの時にテレビで見た映画で、死後の世界を描いたのがあったのですが(たしか丹波哲郎が出演していた…はず)、それとイデオン(だいぶ昔のロボットアニメ(?)たまたまテレビでラストの方を見てものすごい衝撃を受けた)を思い出しました。

 ナルニアシリーズ全体としてはきれいに終わっていたのではないでしょうか。兄妹どころか父母さえ失ったスーザンのことを考えると、すっきりしませんが。ピーターの「わが妹スーザンはもはやナルニアの友ではありません」という言葉が残酷でした。スーザンは何か悪いことをしたわけではありません。敢えていえば「堕落」。大切なものを捨ててしまった彼女は、大切なものを失ったのです。きっと彼女は小人たちやアンドルーおじさんと同じで、何も見えないし、聴こえないのでしょう。それは罰なのでしょうか。だとしたらあまりにも厳しいと思います。彼女がその後の人生で大切なものを取り戻して、再びナルニアへの扉を開くことができるのを願うばかりです。